岐阜の柳ケ瀬と言えば、自分が学生の頃にはとても賑わっていた、いわゆる「繁華街」だったが、その後、さまざまな経済事情ですっかりさびれてしまった。その再興の動きとして、シャッターの降りた商店街の一角に「やながせ倉庫」という廃墟となった倉庫を手作りで改築した空間ができた。「ビッカフェ・Bicafe」は小物や古本なども販売しているカフェで、何やら意表を突く面白い企画もやっており、ここなら創造的なことが出来そうだと思い、今回、即興音楽と彫刻作品の展示という企画を行った。
ysm(ベース:鷲見雅生、ドラムス:木全摩子、サックス:柳川)は、2016年春からスタジオセッションを定期的に重ねてきた完全即興のトリオで、みな岐阜県民である。かつて自分が演奏活動を始めた1980年には、こういったフリーミュージックというか即興演奏をやるような場所も、共演者も、リスナーも、協力者も岐阜には皆無だった。なので、数回ギャラリーを借りてソロで自主コンサートをやった後、岐阜をあきらめ、名古屋で活動するようになった。それが36年経って、岐阜にも即興演奏をやろうという若い世代が現れた。自分とは親子ほど年の離れた若いドラマー、ベーシストと継続的ユニットを組んでみた。自分の中に眠っていた郷土愛が目覚めたのだろうか?「前衛的音楽不毛の地・岐阜」という(自分の中の)イメージを塗り替えてやろという(だいそれた)気持ちが、岐阜産の即興音楽というものをこのysmの活動で発信して見返してやろうとしているのかもしれない。
何の音楽的な約束事も、曲のテーマも、演奏の共有イメージも排除した完全即興演奏を始めてまだ年月浅い二人とのトリオであるが、やっていくうちに何か生まれるだろうという楽観的な展望で活動している。二人とも旺盛にいろいろなものを取り入れているし・・・。
この日の演奏も、「どういう方向に音楽が流れて行くのか?」「共演者それぞれがどんな展開にしようとしているのか?」「自分が導いていきたい方向を、どういうふうに共演者に音で示していけばいいか?」など、探り合いながら、駆け引きしながらのスリリングな演奏になった。メンバーそれぞれが「新しいことを今日の演奏に取り入れてみよう」とか、「今までの常套句に縛られないようにしよう」と考えて臨むので、なおさら手の内が読めなくなる。「いつもならここでこういう反応が返ってくるはずだが・・・」という予測が次々と裏切られていく。これは、3人のアンサンブルを安定させていこうとする流れにとってはリスクが大きい。まとまらなければ演奏は崩壊する。反面、「それはトリオの演奏が新しい地平に足を踏み入れた証ではないか?」とも言える。最初から「自分たちはこういう音楽をやろう」というイメージの共有をせずにスタートしたユニットなので、きっといつまでたっても彷徨い続けることだろう。そういうのも悪くないと思う。即興演奏なのだから。