あたしよしこさん(performance)と游魚さん(el-guitar)のデュオは、サウンドとアクションが表裏一体となって絡み合い、官能、エクスタシーの波動を放ち続け、観る者、聴く者の情動をかきたてる美しいパフォーマンスだった。決して激しさばかりではなく、脱力のなかの安息も描き出していた。
タナカえんさん(performance)とは、これまでもフリーセッションで共演したことはあるが、二人だけで向き合ってやるのはこれが初めて。<おどり>と<行為>を両極としたものさしで考えると、タナカえんさんは<行為>の側の目盛りに寄っているのかな?。(私見) 奇矯な動きは人間以前の生き物のようで、潜在意識の井戸の底をのぞき込むようだった。憑依、トランス・・・何かが降りてきてる生命体への畏れを感じる。
今年1月にはあたしよしこさんとのデュオを「海月の詩」でやったが、あたしよしこさんとタナカえんさんの表現の違いは、サックス演奏にも如実に影響を与えた。<音楽>と<音>を両極としたものさしで考えると、タナカさんとの共演では<音>の側の目盛りに立って吹奏していた気がする。
演奏者とパフォーマーと1対1ということで、自分ひとりの世界に浸りきれた吹奏になった。もう出し尽くしたな・・・、と思って吹奏をやめたとき、タナカえんさんの動きも直立不動で終息した。この25分間は、非日常で異界にたたずむ自分であった。