Review:怪談と即興音楽(4)最終回(京都)

「怪談と即興音楽の夜」という自分には初めての試みを、語りの平松千恵子さん、打楽器のMeg MAZAKIさんと、第1回6月17日「海月の詩(名古屋)」、第2回7月7日「酒游舘(滋賀)」、第3回7月18日「得三(名古屋)」、そして最終回を8月29日「パーカーハウスロール(京都)」で4回に亘ってやってみた。

演奏のほうは即興であるので、細部は毎回やっていることが異なるが、おおざっぱに三つのパターンで演奏してきたことに気づいた。「今は何も起きてないが、まもなく恐ろしいことが起こりそうな場面」「今まさに思いも寄らぬ恐ろしいことが起こり驚愕する場面」「恐怖の場面がおさまり、安息のなかに回顧する場面」の三パターンである。演奏していてもっとも工夫し甲斐があるのは、一つ目のパターンであった。人はどういう音に不安を掻き立てられ、平穏な状態から恐怖に侵されていくか、この心理を音にするのが自分には課題であった。また、音の無い静寂、沈黙が何よりも恐怖を煽ることも納得した。人は沈黙や余白に恐怖心を抱き、そこから逃れるために沈黙を音で埋め、余白は図柄で埋めたがるそうだ。今まで何となく見てきたホラー、心理的サスペンス、パニック系の映画の音楽は、よく練られているなと改めて感心した。

日ごろの即興演奏では、「はい、これから悲しい感じの演奏をします。みなさんも悲しい気持ちを思い起こしましょう」とか「これから怒りをあらわに演奏します。みなさんも共に怒ろうではありませんか」というような、喜怒哀楽の情念をむき出しにする演奏はしないようにしている。演奏者の内面をあまり音でさらけ出したくない。何か気恥ずかしい気がするからである。感情の露出はできるだけしないで、聴いている人が音を聴いてどのようにでも受け止められる演奏をするほうを好む。

しかし、この「怪談と即興音楽」ではストーリーの中の人物の心理や情景などを、音で描写することが求められる。そういう点で、このシリーズでの即興演奏は、今までにない特殊なものだった。演奏の自由を拘束される部分はあるが、その拘束が工夫の糧になり創造への源になるのだなあ、と自分の中で整理し納得した。

またこういった企画(別に怪談でなくともよいが)をやってみたいものである。

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