2018年10月3日(水) 20:00~ @M’s Live Hall(岐阜市・鹿島町)
のなか悟空(ds) 木全摩子(ds) 新井田文悟(el-b) 柳川芳命(as) のカルテット、約45分ずつの2ステージ。
私の過去帳によると、1982年~83年に「サウンド インプロヴィゼーション」というシリーズ名で、イトウカズヒト(vl)さん、竹内梓(vl)<現:南野梓>さん、川越洋一<現:ガイ>(g)さん、高木英臣(contrabass)さん、柳川の5人は、今池の「ハックフィン」で月例の即興演奏会を行っていた。82年11月20日ハックフィンに行くと、この夜は「のなかみつまさ」というフリー系のドラマーのソロと、我々5人の2メンで行うということになっていた。そのとき、のなかさんと我々は最後に共演したようだ。(あまり記憶にないが、録音したカセットテープには、共演した音が入っているはず・・・。再生する機材も勇気も今は無い。)
このとき、明日は岐阜のTWO-5(この店の前身はMAMO、後にMAGAZINEというロックの店になる)でソロをやる、とのなかさんが言われたので、翌82年11月21日、私はまだ入手して間もないセルマーのマークⅦを持ってTWO-5に行き、デュオで何曲かやらせてもらうことになった。何か曲をやろう、とのなかさんが提案して、のなかさんのオリジナル曲2曲と枯葉をやることになった。急に譜面をもらっても初見では吹けないと言うと、じゃあ駐車場に俺の軽のワゴンがあるので、その中で練習してきて、と車のキーを預かった。駐車場には青いボディーに「のなかみつまさ号」とペンキで派手に書かれた軽のワゴン車が停めてあった。
このときの演奏を録音したカセットも残っている。テーマを吹いてフリーな即興になり、徐々にクライマックスになってもうこの辺でいいかな?とエンディングのテーマを吹き始めるが、のなかさんはそれにはいっこうに乗ってこず、さらにでかい音でドラムを叩き続ける。そうこうして、ようやくテーマに戻って曲を終えると、君が吹くのに苦しそうだったから終わりにしたよ、と言われた。ちょっと屈辱だったが仕方ない。当時名古屋では、フリーのドラムをやる人は人力音楽普及協会で知り合った丸市さんぐらいなもので、ドラマーと共演する機会はほとんど無かった。なので東京で活躍していたのなかさんと一緒に吹けるというのは、自分にはとても嬉しかった。小生26歳のことであった。
以後、のなかさんは「のなか悟空」となり、世界各地をドラムセットをもって演奏に出かけ、国内では「人間国宝」というユニットで名を馳せていった。長い年月が過ぎで、次に悟空さんと会ったのは、2011年9月今池のTOKUZOで行われた「デュオ・タッグマッチ」という企画だった。悟空さんは近藤直司(ts.bs)さんとのデュオでツアー中だったろうか?久しぶりの再会なので、てっきり悟空さんは私のことなど忘れているだろうと思っていたら、意外にも覚えていてくれた。この日は悟空さんと共演することは無かった。一緒に演奏できたのは、三年後の2014年9月、東京入谷の「なってるハウス」だった。雨宮拓さんから声をかけてもらって、雨宮さん(p)、悟空さん(ds)、渡辺瑞季さん(ts)(今苗字が変わっている)と柳川、というセット。その次が、2017年9月名古屋御器所「なんや」での、悟空さん、一ノ瀬大悟さん(contrabass)と柳川というトリオ。ここでようやくじっくり共演できた、という実感を得た。そして、このときに聴きに来てくれた木全摩子さんと悟空さんが出会い、その縁で今回のM’s Hallでの演奏会が実現できた、という事である。
ここまでなれそめを書くのに疲れたので、M’s Hallでの演奏について書くのは省略。言葉にできないもんな、あの演奏中の高揚感は。名古屋界隈の即興ファンの皆さん、摩子さんのドラムスクールの生徒さんたち、同業ドラマーたち、木全家ご家族、ミレマ御一同、カメラマンのアトムさん、・・・・etc. ご清聴ありがとうございました。