2018年12月10日(月)TOKUZO(名古屋・今池)
(演目)仮名手本忠臣蔵~四谷怪談~仮名手本忠臣蔵
(出演)語りと三味線:平松千恵子 即興囃子:柳川芳命(as) Meg Mazaki(ds/per)
この夏に行った「怪談と即興音楽」では、小泉八雲の「Kwaidan」をメインに、怪談の語りにインプロヴィゼーションを絡ませるという初めての試みに挑んだ。今回、忠臣蔵の討入りの季節を迎え、「仮名手本忠臣蔵」と、この話のサブストーリーである「四谷怪談」を組み合わせて上演した。夏の怪談が、比較的シンプルな展開で、登場人物も絞られた短編であったのに対して、忠臣蔵も四谷怪談も、ストーリーの展開、人物相関、人物の心理も複雑である。その上、2パートに分けてもそれぞれが約1時間と言う長編である。演ずる側も視聴する側もかなりの集中力を要する。しかしながら、平松千恵子さんの語りは、(ストーリーが分かろうが分かるまいが)とにもかくにも、その物語の世界に聴衆を惹き込んでいく技と気迫が漲っていた。
即興囃子のほうは、全部で37場面(各場面は1秒程度から長くて1分程)音を入れる箇所をあらかじめ決めておいた。(本番では予定にない場面でも演奏したが、予定にないことを本番でやっても許し合う寛容さを我々は備えている。)人が斬られる場面、驚愕する場面、怨念が湧き出す場面など人物の喜怒哀楽が剥き出しなる場面での音、時間の推移のなかで情景を描写する音・・・など、夏の怪談のときよりもそのニュアンスは多様である。まともなリハは当日の開演前だけ(しかもスキップしまくり)だったので、どんな音を出してくるかは直前までお互い分からずにいたし、本番はリハとは異なることをやることは常である。Megさんの演奏は、感情が暴発する場面でも、ぐっと押し殺す場面でも、緊張感を高める「間」が生かされていた。そういう息を呑む場面の情景や人物の心理を、うまく打楽器で表現していたと思うし、改めて和的なドラマ―であることを実感した。
情念のサックスといって真っ先に思い浮かぶのは高木元輝氏である。高木氏が生きていて、こういう場でテナーを吹いたなら(たぶんやりたがらないと思うが・・・)どんな感じになるだろうと、ふと録音を聴き返して思った。自分の演奏を聴き返していて「アイソレーション」の雰囲気が脳裏をよぎった。若い頃レコードでよく聴いたので、どこかで刷り込まれ影響を受けていたのかもしれない。
即興演奏と言っても、ストーリーにそってそのイメージを音にするので、日頃やっている即興演奏とはずいぶん勝手が違う。その場面場面に合うような演奏は一通りではないわけで、そのあたりの選択の自由はもちろんあるが、「この場面でこの音か・・・なるほどな。」と思ってもらえるようになるにはまだまだ精進しないといけないな。単に恐怖の場面で「ギャーッ」っと吹くばかりでは単純すぎる。と、反省しつつ、今年の怪談シリーズの幕は降りた。