Review:電撃的荒療治 武藤宏之+Meg+柳川

2019年2月9日(土) なんや(名古屋 御器所)

武藤宏之(electronics)    Meg MAZAKI(drums)    柳川芳命(sax)

名古屋のエレクトロニクス操者(奏者?)の中で、岡崎豊廣さん、菊地行記さん、小野浩輝さんと並んで、武藤宏之さんとはもう10年ぐらい前から知り合って共演もしてきた。前回はおよそ1年前に、Megさん、小松バラバラさんと武藤さん、私の4人で、今回と同じく「なんや」で演奏した。

思えば90年代には、ディスロケーション(岡崎、ガイ、モリキミホ、柳川)やメルツバウ(秋田昌美)、インキャパシタンツ(T.美川+コサカイフミオ)、モンド・ブリューイット(故・岩崎昇平)など、ノイズ系の人たちとの共演が多かった。武藤さんと約1年前に共演してから、ノイズやエレクトロニクスとの共演はほとんどなかったような気がする。まあ、ノイズというカテゴリーで分類することは乱暴な括り方で良くないと思うが、既成の楽器を用いない電子音響の人たちと、楽器を用いて即興をやる人とは、身体的な機能の面での共感が有るか、無いか、という観点から共演する場合の関わり方がが異なる(気がする)。情動というかバイブレーションの起伏のようなものの伝わり方が楽器奏者とは違う気がする。楽器奏者との共演では、エモーションの高まり、疲労からくる失速などの共感が演奏のシーンの転換に大きくかかわってくるのに対して、非楽器操者からはあまり伝わってこないので、いわゆるインタープレイ、コールアンドレスポンスというようなかかわり方は生まれにくい。私の場合は、共演する非楽器電子音響操者の音は、自分の音の「背景」という意識で演奏することが多い。「背景」というと何か軽く扱っているようで失礼な言い方かもしれないが、相手も自分の音を背景だと思ってくれて差支えないのでその点は対等だと思っている。それに絵画でもどんな芸術でも、「地」があっての「図」である。「地」の存在はとても大きいし影響力も強い。

さて、この日の武藤さんの音は、その勢いや切れ味に凄味があった。ファーストセットでは武藤さんの疾走し自在に変幻する爆音に翻弄されたところがあって、見境なく吹いたという感があった。ファーストセット(約25分)で全開で吹き、叩き、すべて吐き出した後のセカンドセットは、音のベタ塗りにならないよう、3人の音の陰影とか立体感を意識して、スピード(音)の疎密も伸縮させながらやってみた。ドラマ性が感じられていいアンサンブルになった気がする。聴いていてくれた店主のPUYOさんも同じような感想を持たれたようだ。

以下、PUYOさんの感想の引用。

後味としては、スカッと爽やかなライブだった。さわやかな音が出ていたわけではないのだけれど。特に休憩後の後半は、展開もおもしろく、一体感があって、引き込まれた。

演奏後のカタルシスを味わっていただけたのではないかな。

MMY nanya 2