Review:柳川ソロ+平松千恵子「四谷怪談」@海月の詩

2019年4月5日(金)海月の詩(名古屋今池)

・柳川芳命(alto-sax)     ・平松千恵子(語り)

当初この演奏会は、CD『四谷怪談』のリリース記念として、Meg Mazaki(ds)さんと私とのデュオで行う予定だったが、Megさんが3月中旬から椎間板ヘルニアの治療のため出演できなくなり、ピンチヒッターとして平松千恵子さんに四谷怪談の語り手として出演してもらい、演奏は私のソロで行うことになった。

今回は、次のような流れで二部構成で演じることにした。

第1部:プロローグ→サックスソロ#1→四谷怪談part 1 →サックスソロ#2

第2部:四谷怪談part 2 →サックスソロ#3→四谷怪談part 3 →サックスソロ#4

語りとサックスソロとは分割して行い、語りのバックで演奏するということは行わなかった。ソロはソロでストーリーから独立したものとして演奏してみようと思っていたが、やり始めるとそうはいかない。平松さんの語りに、会場の空気は凄まじいシーンと人物の激情に染まり、サックス演奏もその影響を受けないでおられようはずがない。結果として、それが演奏のモチーフとなり、4回行ったサックスの即興演奏は、それぞれ異なった趣きとなって良かったと言える。

さて、改めて思ったことは、サックスは所詮単音の旋律楽器であるので、いろいろな奏法を駆使してはみるが、旋律による即興演奏からは逃れられない、ということである。そうなると無調であったり多調であったりしながらも、どこか長調や短調の旋律に支配されてしまう。まあ、それは自分に染みついてしまった「音のつながりの心地よさ」なのだから、あえて否定することはなく、必要であればそれらを使って演奏すればいいことだろうと思っている。

メロディ吹くのもダメ、リズムを刻むのもダメ、いわゆる音楽的な要素を持ち込むのはダメ・・・と、「禁止」ばかりでも不自由なことである。<自分が生まれてからこれまでに聴いてきて心動かされた音楽が、その人の即興のオリジナリティーをつくる源泉>だと思っている。そうでなければ「その人固有の演奏」というもの(アイデンティティー?)が無くなってしまい、どこの誰でもいい人の演奏になってしまう。そこまでの領域に踏み込んでしまうのもどうかなあ? やはり演奏の向こう側の人間性みたいなものが感じられない音楽はどうかな?と思う自分がいる。保守反動的だろうか?

毎回同じフレーズが出てきてしまうことに嫌気がささないように、やっている自分が驚くような新鮮な演奏がしたい。それに「これが私の演奏での聴かせどころ、決め技でございます」と開き直ってしまうのは<芸>を披露するようで気恥ずかしい。なので飽きもせずこうして40年も即興演奏ばかり続けているのであろう。

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