Review : ラビ”ヤナ”リロイ@海月の詩

2019年5月13日(月) 大衆泡盛居酒屋「海月の詩」(名古屋・今池)

ラビリロイ<ルイリロイ(g)+有本羅人(tp/bcl) >+柳川芳命(alto-sax)

※冗談半分でミドルネームに入れてもらって、この3人を『ラビヤナリロイ』という。

◆かつて、日本のある首相に、次のような質問がされた。

「先生、民主主義とはどういうものでしょう?」

「『私はあなたの意見には断固反対する。しかし、あなたがその意見を述べる権利を、私は命を懸けて守る』ということでしょうな。」

なるほどと思う。

◆フリーインプロビゼーションで共演するとき、自分の立場を分類してみると、詰まるところ次の3つになるような気がする。

A :相手のやっていることに合わせる(「合わせる」とは、ほぼ同じようなことをやって添っていく、という意味。例えばリズムとか調性とか曲調とかムードとか熱気とか・・・)

B:相手のやっていることに対して、あえて対極的なことをやる。(異質なものをぶつけてみて、その違和感から生まれる何かに期待する。弁証法的な発想かな?)

C:相手のやっていることをほとんど無視して、自分のやりたいことを押し通す。(これもBに近いスタイルだが、相手のやっていることを認知しているがあえて無視してやる、ということで、コラージュ的な発想かと思う。)

A、B 、C の3つを、気兼ねなく自分が自在に使い分けられる共演者だと良いと思う。そして、そのことが自分だけでなく、全メンバーが対等にできる関係が良いと思う。初対面の人との共演となると、なかなか思い切ってBやCのかかわり方をするには勇気がいる。ある程度共演回数を重ねて信頼関係ができないと自分は難しい。

この日の、ルイリロイさん、有本羅人さんとのトリオは、回数的には3回目か4回目の共演だが、思えば初回からABCの3つのかかわり方ができたように思う。(私以外の2人がどう思っていたかはわからないけれど・・・)演奏していて解放度が高いという実感があった。つまり好きなように演奏できる、ということである。自分が何をやっても2人は受け入れてくれるし、同じように2人が何をやっても自分は受け入れられる、という(ある種の)自信があった。

そういう「解放度がメンバーに平等」ということが大事だと思う。解放度に主従関係のあるような共演を私は好まない。『私も好きなようにやらせてもらうが、同じように私はあなたが好きなようにやる権利を必ず保障する』という関係になれる、ということがフリーインプロビゼーションでは必要ではないかと思う。

そういう点から考えると、「ラビリロイ」の2人は、若き「生粋のインプロバイザー」なんだなと思う。親子ほど年が離れているが、そういう世代的垣根を越えて一緒にやれることは良いことだ。ただし、ルイさん、羅人さんはどう思っているかはわからないが・・・。

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