毎年、七夕の日になると思い出す。1978年7月7日。自分は大学4年生の夏のことだった。この日、午前中から名古屋発の高速バスに6時間乗って東京八重洲口に行き、そこから新宿~初台と向かう。その頃にはすでに夕方になっていた。阿部薫氏のソロがその店『騒(がや)』で始まるまでに時間をつぶす。店が開いて中に入ると阿部薫氏はもうカウンターにいたと思う。彼のこの店での演奏はすでに2~3回聴いている。いつものように、演奏が始まるまで1~2時間近くは、一杯の酒でじっと待つしかなかった。阿部氏の立ち位置の右側の比較的近い席に座って至近距離で聴いた。
この夜はアルトしか吹かなかったので個人的には満足だった。ソプラニーノ、ギター、ピアノの演奏も聴いてはきたが、あんまり本気にやっているとは思えなかった。故人に失礼であるが・・・。何の曲を演奏したかは判別できなかったが、曲らしいメロディは随所に出てきた。この日の演奏には生命感を感じた。「この日の」とあえて言ったのは、それが感じられない演奏を以前にここで聴いているからである。(それがいいか悪いかは聴く側の価値観の違いなので今更どうこう言うつもりはない。)7月7日のアルトサックスソロに関して言えば、『ああ、阿部薫ももち直してきて、まだまだいい演奏を続けそうだな』という期待感をもった。
終演はいつもながら遅い時刻になり、急いで店を出たものの新宿駅構内で迷い、午前0時近くに出る大垣行・最終夜行の各駅停車の列車に間に合わなかった。しかたなく八重洲口あたりを徘徊して夜明けを待って始発の新幹線に乗ることにした。そこで始めて東京には24時間営業している吉野家という店があることを知った。その店ではリリース間もないサザンオールスターズのデビュー曲がけたたましく流れていた。
やむなく新幹線に乗って帰ったのは、その日大学で就職の面接対策の授業があったからである。これには出ないとまずい事情があった。阿部薫氏のサックスの残響、東京の空気を引きずって遅刻して大学の授業で出た。一気に現実に引き戻された気分だった。皆、今で言うところのリクルートスタイルで授業に出ており、自分だけは昨夜の「騒」でのままの格好であった。
阿部薫氏がその秋9月9日に死んだと知ったのは11月の頃だった。あの7月7日の「騒」でのソロが見納め聴き納めだったんだなあ、と感慨深く思った。その演奏が生命感にあふれていただけに、あれは一時の輝きだったのかと残念だった。
大島彰さんの主宰するランダムスケッチの企画で「阿部薫LIVE at GAYA」10枚組CDが出されることを知ったのは90年ぐらいだったと思う。そしてこの10枚のCDの9枚目に、78年7月7日に聴いたソロが収められていることを知った。ジャケットを見て、あの日阿部薫氏が演奏したのが「Lover come back to me」だったことが分かった。
当時は、けっこう熱心に阿部薫氏に期待感をもって生での演奏を聴いていたが、後になって音の記録物を再生しても、それが何か別物のように思えてならなかった。「なしくずしの死」も「パルティータ」も生で聴いた阿部薫氏とはずいぶん違った印象だった。
10枚組のCDの中で、このvol.9は比較的よくCDプレーヤーのトレイに乗せてプレイボタンを押すのだが、5分ほどしたらストップボタンを押して片づけてしまう。やはり、音だけを引きはがしたCD盤には、あの78年の七夕の日、6時間かけてバスで東京行き、心を躍らせて聴き入った阿部薫の残像は出てこない。