2019年10月5日(土)名古屋今池『海月の詩』
・野道幸次(ss,syn) 小林雅典(g) 吉田崇(per,syn,piano) 柳川芳命(as)
<規律も統制も無用>という烏合の徒4人による集団即興演奏。今回で2回目。
むかしむかし、私が学生の頃、ピアノ、サックス、ドラムスが一丸となってインテンシブに一点に向かって突進していく山下洋輔トリオの演奏にカタルシスを覚え、もうロックでは物足りなくなったという想い出がある。そんな山下氏が「ジャムライス・セクステット」という一過的なグループを編成し、『ジャムライス・リラクシン』というLP両面で1曲というレコードを出した。76年頃だったろうか?インテンシブなトリオの演奏とは対極的で、リラクシンの名の通り、拡散型というかエクステンシブというか、6人がそれぞれ出たいときに出て、好きなように演奏し、休みたいときに休むというような演奏だった。(すでにこのレコードを手放して40年以上になるので記憶違いがあればご容赦願いたい。)途中でテーマらしきユニゾンのフレーズが少し出るが、どのように展開していき、どのようにゴールを迎えるかはその場、その時次第、というような感じの集団即興演奏だった。
野道・小林・吉田・柳川が始めたこの『烏合ノ徒』というグループは、(他の3人の考えは違うかもしれないが・・・)そのような拡散型の集団即興をやるということで認識をしている。なので、他人のやっていることに関知せず、常套句のようなコール&レスポンスなどナンセンス、ソロの同時進行のようなカルテットをやる、ということである。しかし、すぐ隣で演奏している共演者たちの音が聴こえる以上、どこかでそれに影響されずにはおれないものである、ということを2回やってみて確信した。
4人一丸となって同一ゴールに向かって突き進むわけではないので、波長のズレはおのずと生じ、演奏の終焉をどう迎えるかのコンセンサスが得られないことが多い。よって演奏時間は1曲30~40分と長くなる。セカンドセットでは、自分はもう吹くことがなくなったので早めに上がらせてもらった。別に4人揃って終わる必要もない。吉田さんは最後の仕上げの「楽器のなぎ倒しパフォーマンス」をして終了。野道さんはソプラノサックス吹奏と、レトロな音が出るシンセ、エフェクターを(飽きるまでおもちゃで遊ぶ子どものように)納得いくまでいじくり終了。小林さんは点描的なギターの音をまばらに撒き散らし息絶えたギターのように終了。というような感じで、各自が各自のエンディングを全うし、めでたく4人の演奏が終わる。40分近かった。お客様に「よくぞ聴いてくださいました。お疲れさまでした」と労をねぎらいたい。
オーディエンスに向かって何かを提供するような表現(エンターテイメント、あるいは「芸」のお披露目)にはそっぽを向いた、唯々日常の遊戯の一環のような音出し行為。昔からこういうスタンスでのインプロビゼーションをやっている人はいた。我々以外にもそういうアナーキーなインプロビゼーションを信条とする人はいる。音楽を専門的技術を身に付けた者の特権的な芸から解放し、人間本来の音出し行為を回復させようという考え方には共感する。プレーヤーとオーディエンスの間にボーダーラインを引き、金銭の授受を伴って音楽を楽しむようになったのは、人類史上つい最近のことであろう。フリーインプロビゼーションこそはもっとも原初的な音楽行為で、人類史上最も長い伝統のある音の楽しみ方であって、前衛とは正反対のものだ思っている。(いつもの持論)