2019年10月10日(木)名古屋今池 バレンタインドライブ
・向井千惠 (二胡/pf/vo) 河合渉 (gt) 加藤雅史 (b) 柳川芳命 (as)
・てらにしあい・高木理恵・三好友恵 (dance)
ダンサー3人、サウンド4人によるフリーインプロビゼーション。「フリー」という言葉を、「自由」というより「自在」と解して「全自在・・・」とタイトルに明記した。「自在」と言うと、いかにも「自分の行為を自分で思うがままに操れる」という感じを受けるかもしれないが、自分で制御できない「偶然」も即興の中でいっぱい起こりうるということも想定しており、それを肯定的にとらえている。
音のほうは、ここバレンタインドライブでは久しぶりにドラマ―のいない編成である。自分の感覚的な言い方になるが、<凹型の表現>、<凸型の表現>というものがあるとしたら、この日の演奏は凹型だったと思う。自我を音に託して外に向かって押し出す(ex-press)ような凸型と違い、音量も音数も音の動きも自己主張も抑え、聴く/観る側にイマジネーションを膨らませてもらうような凹型のパフォーマンスだった。
かつて犬飼モンク画伯が、『表現(express)しないことが、すばらしい表現』と言っていたことを思い出す。聴いている人に表現者の自我の爆発を押し付け、圧倒するような表現もいいが、視点を変えて、極力自分を出さず、聴いている人の積極的な感受性を受容して思考やイメージを膨らませていくような表現もいい。以前、李禹煥(リー・ウーファン)が、「人々が作品と認識せず、通りすがりに見落としてしまうような彫刻を制作していきたい」というようなことを言っていたのを思い出す。
共演のたびに感じていることだが、そういう発想に立たせてくれるのが向井さんのパフォーマンスである。一聴して(一見して)大きな動き、ドラマ性、自己主張や自我の爆発の無い控えめで淡々とした表現に思えるが、視聴している者自身がイマジネーションを豊かに拡張してその表現を受け入れていく。そんな導きをするのである。
この日出演してくれた、河合渉さんも加藤雅史さんも、そして3人のダンサーも、向井さんの放つ「気配」に共鳴していたのではないかと(勝手に)推測する。微妙な音のニュアンス、厳選された一挙手一投足を大切にした身体表現だったと思う。自分としても(日頃の)白刃をふりかざし切りつけるような演奏ではなく、その対極にあるような演奏ができたようで、自分に新鮮だった。そして、自分に新鮮さを感じるということは、何よりも嬉しいことだ。