Review : Hyakuyoso / After It’s Gone @SCIVIAS

2020年8月1日(土) 名古屋・納屋橋 特殊音楽バーSCIVIAS(スキヴィアス)

・Hyakuyoso( electronics)

・柳川芳命(as) Meg Mazaki (percussion) ”After It’s Gone”

「電子音響」という言い方が自分には一番腑に落ちるので、Hyakuyosoの演奏をそういう呼び方をするのだが、この「電子音響」なるフィールドには、百花繚乱の志向・スタイルの音楽がある。自分が演奏活動を始めた1982年頃には、身近に岡崎豊廣さんがいたし、90年代になるとノイズの人たちが台頭し、Dislocationでの活動も始まった。一時だったが、Merzbow、Monde Bruits、Incapacitantsと共演したこともある。名古屋でも菊池行記さん、武藤宏之さん、小野浩輝さん、浅井一男さん、三重ではNigoriとの共演もしてきた。それぞれが独自の音響システムで電子音を追求していて、十把一絡げでエレクトロニクスとかノイズとかででカテゴライズするのは乱暴であろう。

Hyakuyoso(ソロプロジェクト)のKoh Takahashiさんとは近年知り合って、一緒に音を出すのはこれで2回目である。1回目はサイン加藤さんのパフォーマンスとの共演でもあったので、音の面ではデュオだった。柳川+Megデュオでも、これまで武藤宏之さん、小野浩輝さんと共演してきた。その共演の仕方はそれぞれ大きく異なっていた。Hyakuyosoには、また独自の音世界がある。それを言葉で表現するのは難しく、「語りえないもの」には沈黙しているほうが良いのだろうが、あえて個人的感想レベルで言うならば、荘厳さ、というか神秘性、敬虔さを感じるのである。疾走感や、攻撃性、威圧性を追求するものとは指向が違う。それは、いわゆる電子音むき出しのサウンドではなくて、どこかナチュラルな肌触りの響きだからかもしれないし、重厚な低音が、そういう心理作用を与えるのかもしれない。

この音楽は「ドローン」と呼ばれるものだそうだが、いっときSamadhiのベーシストの鈴木茂流さんが、「永久持続音」という呼び方でエフェクター類を使った演奏をしていて、自分もデュオをやったことがある。なかなかスペーシーで内省的な演奏だった。「ドローン」と「永久持続音」をイコールで繋いでいいのかどうかわからないが、たぶん鈴木さんは「いいと思う」と言うだろう。途切れないで滔々と流れる電子音をずっと浴びていると、胎児が羊水の音を聞いているような(私にはその音の記憶はないのだが・・・)、安堵感とか陶酔感、酩酊感に襲われる。Hyakuyosoの音楽を聴くと、徐々に、徐々に、聴者が気付かないうちに音の厚みと強さが増していき、ふと気付くと音の洪水に飲み込まれている、というような体験をする。

なので共演するといっても、このHyakuyosoの音環境で、音による心理的浸食に襲われながら演奏していく感覚である。今回、パーカッションや音の出るモノを多種多様に用いたMegさんの演奏は、Hyakuyosoの「せせらぎ」から「洪水」に変容していく過程の中で、遊戯的に踊っていた。こういう演奏はプレーヤーのセンスに全てが委ねられると言ってもいい。誰でもやれる演奏だが、その人にしかできないというたぐいのものである。遊戯性は即興演奏に欠かせないエンターテインメント性である(かどうかは、今思いついただけで確証はない。)。いいスパイス効果だったと思うし存在感があった。

自分としてはHyakuyosoの音の荘厳さとか神秘性に包まれ、敬虔な気持ちで昇天願望をもって吹奏ができた。が、それが聴いていた人たちに伝わったかどうかは知らない。聴き方はその人の自由である。

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写真はMegさんのビデオレコーダーから。背中はHyakuyosoのKoh Takahashiさん、手前の頭巾がMegさん。