Review: Machine Gun 2020 @Nagoya TOKUZO

2020年9月25日(金) 名古屋/今池 TOKUZO

・江藤良人(ds) 十三(ds)

・加藤雅史(contrabass) 一ノ瀬大悟(contrabass,conduct)

・大森菜々(pf)

・野道幸次(ts) 小埜涼子(as) 柳川芳命(as)

企画:千葉正巳

2019年2月に行った「Machine Gun」 の再演を、江藤さんを除く名古屋のメンバーでやろうという企画である。1968年にペーターブロッツマン・オクテットが発表したヨーロッパフリージャズの起点というべき作品で、その暴力性や過激性で有名なアルバムである。

このアルバムには「Machine Gun」「Responsible」「Music for Han Bennink」の3曲が収録されていて、今回のライブではその3曲を演奏することにした。各曲にはテーマらしきものがあるので、それについては、演奏の場面転換のきっかけのような扱いで演奏することにした。8人の奏者の合奏形態なので、コンダクトする人が必要になる。今回は一ノ瀬大悟さんがコントラバスの演奏を兼ねて、指示を出す役を務めた。

さて、このマシンガンと言うアルバム。1968年にドイツのFMPというレーベルから出されたものだが、私個人としては不可解なことがいくつかある。別にこだわらなくてもいいことなのかもしれないが・・・・。まず、「マシンガン」という破壊か殺人かにしか用いられない武器の名前がタイトルになっていることが一つ。1968年と言えばベトナム戦争が泥沼化し始めた頃である。だいたい世界中のアーティストたちが「Love & Peace」を主張していた時代に、なぜ「マシンガン」なのだろう? そもそもマシンガンといわれる武器は、この約50年ほど遡る第一次大戦に使用されていたといういうことである。68年にあって今更マシンガンというのも時代錯誤な感じである。ジャケット写真は二人の兵士がマシンガンを操縦しているもので、あんまり労をかけず適当なイラストで済ませた感がある。さらにはマシンガンとは何ぞや?という辞書的意味が書かれている。

自分には、これらすべてに引っかかるのである。何か批判めいた政治的な主張が秘められている感じも無く、ただただ1曲目に針を落とすと、あたかもマシンガンが連射されているようなテーマに圧倒されるだけである。2曲目のタイトル「Responsible」、辞書的には「責任者」という意味なのだが、どういうこと?どっからこういう曲名を付けた?マシンガンとのつながりは何? 3曲目「Music for Han Bennink」などは、適当に付けたタイトルなんだろうなあと思ってしまう。

そういうわけで、このアルバムが日本に紹介された70年代中盤(?)頃、このアルバムに納められた演奏はすさまじくて凄いけれど、何か自分にはしっくりこないものがあった。

さて、前置きはこのぐらいにして、今回はドラムの江藤さんを除いて、これまで一緒に即興演奏のライブで関わってきた人たちばかりのメンバーであることや、自分にとっては2回目の参加なので、さほど緊張はなかった。テーマも合計7つあるのだが、いちおうスムーズに吹けるようには準備して臨んだ。が、実際即興演奏の中で突然にテーマを吹くというのは難しいものである。今回は野道さんのテナーにリードしてもらったわけだが、野道さんにしても小埜さんにしても吹奏楽とかジャズのビッグバンドの経験のある人はさすがだなと思った。ピタッとユニゾンで3サックスが揃うことは無く、ズレが許容され、むしろ不協和音が出てリズムもズレたほうが面白い演奏になると自分に都合の良い考えで吹かせてもらった。暴力的な音楽をやるのに、こういったテーマを入れるのは自分にはブレーキになってしまう、というのが正直な気持ちである。ブロッツマンも今ならこういったテーマなど使わないのじゃないか???

とにかく大きくて強い音を速いスピードでパワフルに演奏する、そのことの爽快感やカタルシスを追い求めるという点では、はやりこれらの曲はフリージャズの原点なのだろうと思う。こざかしくて観念的でアイデア倒れの衰弱した即興演奏よりも説得力のある音楽だと思う。やはりアラウンド70年のアートの一つとして「マシンガン」は、エポックメイキングなアルバムだったのだろう。ときにはこれを再演し、若い世代の人に聴いてもらうのも良いことだと思う。