Report: 木屋町ホーンズ/檸檬のテロル@Annie’s CAFE

2020年12月10日(木)京都・くいな橋 Annie’s CAFE(アニーズカフェ)

・木屋町ホーンズ <北村嘉彦ts Take-Bow gt Halser b 圭ds>

・檸檬のテロル <後藤宏光performance 柳川芳命as マツダカズヒコgt Meg Mazaki ds>

「檸檬のテロル」初公演は、2018年3月24日(梶井基次郎の命日にちなんでタイトルを付ける)酒游舘で、大阪のベテラン実力派ユニット「3ミラーズ」との2本立てで開催。

このあとかなりブランクがあり、今年9月26日に同じく酒游舘で「美は乱調にあり」との2本立て公演を行った。

この2回目のときは、持参したギターアンプの調子が悪くなり、本番演奏中に対バンのギタリストのアンプに繋ぎ変えるとか、サックスのストラップが破損して着座しての演奏を余儀なくされるなど、少し不本意なところがあった。しかし、内容はなかなか上出来で、もう一度やってみようという思いから、会場を京都のアニーズカフェに移して開催した、という次第である。

後藤宏光さんのパフォーマンスができるためのスペースとして、アニーズカフェはふさわしいと思った。ステージ上方の観覧席も使えると良かったのだが、機材やシールドの海で足場が無いということだったので、そこを利用したパフォーマンスはあきらめることになった。

Take-Bowに依頼した結果、対バンとして「木屋町ホーンズ」に出演してもらうことになった。ファンク、ジャズ、ロックを包含したオリジナル曲を演奏するインスト・バンドである。実は即興以外でギターを弾くTake-Bowの演奏を聴くのは初めてであった。切れのいいカッティングでドライブ感に満ちたプレイだった。先月まで「Zac Baran」の厨房にいて店を切り盛りしていたHalserさんが新たにベーシストで加入したばかりだそうだが、「ろくでなし」でバイトしている圭さんのタイトなドラムスとの相性も良い感じだった。テナーの北村さんは以前にも「拾得」で対バンとして聴いたことがあるが、乾いてスモーキーなテナーサウンドで情感豊かに歌い上げるソロが良かった。

さて、「檸檬のテロル」であるが、後藤さんの沖縄三線でイントロ~エンディングで飾るという、ドラマ性のある約50分間という長いパフォーマンスとなった。(別にそうしようという打ち合わせをしたわけでない、いつもなりゆきである)。

サックス、ギター、ドラムの全即興に、後藤さんの身体表現が加わることで、<踊り>~<行為>が、時間の流れを絶えずキープしてくれることになったと感じた。仮に音が止んでも、行為が続く限り全体のパフォーマンスは持続する。この比較的長く連続したパフォーマンスに、演奏者がどう融通して絡んでいくかを考えると、気持ち的にはゆったりした構えになる。身体表現が持続している間、演奏者のほうは任意に出るときには出て、引くときには引けばいい。仮に演奏の3人が同時に引いて音が止んでも、身体がそこに在る以上(仮にステージで静止して立っていたとしても)、表現は持続する。即興表現のイニシアティブは身体表現のほうがとりやすいと思うのだが、どうだろう?

自分は割と即興演奏の展開とか構成(ストーリー性?)を意識しながら演奏するタイプだと自覚している。その瞬間、瞬間の刹那的ひらめきだけで演奏を持続させるタイプではない。自分としては、身体表現が加わることは即興演奏の展開の仕方が大きく変わる。音だけの場合は、自分の演奏と共演者の演奏の両者のせめぎ合いで即興が展開していくが、身体表現がそこに加わることで、新たな、しかも強力な即興を導く磁場が現れる。ソロの時は即興の主体性が自分の内面にあるのだが、身体表現の加わった集団即興となると、ステージ上で進行している表現に対して、客体になれるときがある。それで演奏はどう変わるのか?と尋ねられてもうまく説明はできないが、己の主体性の出し方が弾力的になることで、力の抜きどころが見えてきて、意識がしなやかになるような気がする。

自分でも何が言いたいのかわからない話になってきたが、要するに50分の時間が長いという感覚が無かったのはなぜか?ということを終わってからいろいろと考えたわけである。演奏だけで50分1曲の即興は、おそらく今の自分にはできないし、観客もそれだけの時間を拘束されると退屈するだろうと思うので、やってみようとも思わないが、身体表現(しかも舞踏というよりはパフォーマンスのほうが)と一緒ならできると思うのである。

マツダさんのギターとの共演のときには、何の打ち合わせをしなくとも、その場面、場面で前に出る、後ろに引っ込むというタイミングがつかみやすい。マツダーMegラインで生まれる演奏と、Meg-柳川ラインで生まれる演奏との色彩には大きな違いがあるように思うのだが、その違いの大きさが即興の流れに幅を与えてくれているような気がする。Megさんのドラムの立ち位置が双方からバランスがとれている感じがして、そのあたりがこのトリオの強みかな、と思う。

後藤さんのパフォーマンスは、舞踏と日常的行為の間を振り子のように揺らぎながら、何か意味がありそうで解読を拒否するような行為が魅力的である。それは具象と抽象のボーダーラインを取り除いたような表現である、などと言っていいのか的外れなのか、それすら不可解なところがある。ただ、終始観客の視線は彼の動きに支配されていることは間違いない。

(写真はAnnie’s CAFE 店主のTakenoさん)