2021年7月10日(土) 東京・入谷 なってるハウス
・原田依幸(p) 柳川芳命(as)
なぜ原田さんとのデュオが実現したか?もう数年前から、日本天狗党の鈴木放屁さんに、原田さんとのデュオをやってみたら?ということを言われていた。そりゃやってみたい。やってみたいが原田さんがOKするかどうかはわからないな、と思っていて、そのままになっていた。
それから、なってるハウスで日本天狗党との交流ライブを何回か行ううち、マスターの小林さんからも、原田・柳川デュオをやらないかと言われた。原田さんが嫌でなければお受けしたいと返事をしてから数か月たち、ようやく双方の都合のあう7月の土曜日に決行することになった。
自分が二十歳の頃「生活向上委員会ニューヨーク支部」というLPをよく聴いていた。特に原田さんのピアノから始まっているB面を気に入っていた。生の演奏を初めて聴いたのも自分が20代の頃で、アケタの店でやっていた「集団疎開」(梅津和時・原田依幸 ・森順治・菊池隆)の演奏だった。次に聴いたのは80年ぐらいだったろうか、京大西部講堂での「生活向上委員会大管弦楽団」のライブだった。
それから30年ほど時は流れ、2009年の5月、毎年恒例の日本天狗党の信州国際音楽村の合宿セッションに原田さんが参加した。夜、原田さんは合宿に参加した一人一人と短いデュオをやってくれた。自分も吹かせてもらったが、おそらく5分もやっていない。
それから12年たち、なってるハウスで初共演となったわけである。開演まで原田さんはピアノに触れることはなかった。18時過ぎにファーストセットを始める。ピアノが出るのを待って吹くか、先に吹き始めるか?・・・前者を選択。ピアノは静かに入るか、激しく入るか?・・・前者だった。一呼吸か二呼吸遅れて吹き始める。あとは唯々ピアノの演奏に反射(反応ではない)して吹き続けるのみ。途中、自分はピアノの演奏にまとわりつき過ぎているのではないか?と気づき、ちょっとピアノと距離を置いて自分のやることをやるほうが、お互いにとっていいのではなかろうか・・・と思った。しかし、原田さんは強力な磁場をもっている感じで、しばらくするとまたピアノに反射して吹いている自分に気づく。もう、よけいなことを考えずに唯々ピアノに身を委ねるのがよかろうと、反射の連続でエンディングを迎えた。演奏時間は30分弱ぐらいだったと思う。
セカンドセットの出だしもピアノは静かに入ってきた。こんどは三呼吸か四呼吸おいて、ややゆっくり落ち着いて吹き始める。なるべく「ためる」「じらす」「言いかけて止める」という自分を戒める共演の基本方針を胸に刻み、ピアノに近づいたり意識的に離れたりしながら吹奏する。クライマックスか?と思われる場面では自分もアクセルをしっかり踏み込んで応酬した。セカンドセットも30分弱の演奏時間だった。短いと思うかもしれないが、原田さんの演奏は、「緩む」とか「淀む」ということが無く、恐ろしくインテンシブでテンションが持続するので、30分やれば出尽くしてしまう。そして、いさぎよく終える。自分もこのような演奏姿勢でありたいものだと思った。 いい経験が出来たと思う。 セットしてくださったなってるハウスの小林さん、前から原田さんとの共演を薦めてくれていた天狗党の皆さんにお礼を言いたい。
終演後、恐れ多くも原田さんに焼酎をおごっていただいた。


